こんにちはHousukeです。
ネットの広告に、共立電子から販売されている“マトリックス スピーカーのキット“なるものがありました。
ネットの広告に、共立電子から販売されている“マトリックス スピーカーのキット“なるものがありました。
📻 マトリックス スピーカーの外観 📻
ネットでそれを見つけることができました。
正体はラジカセではなく、50年前のSONYのAM/FMラジオでした。
当時のパンフレットです。
📻 SONY MS-33('70年発売) 📻
型名の下にさりげなく“マトリックス サウンド”と小さなルビが振ってあります。価格は 17,800円とあります。
'70年(昭和45年)の大卒男子初任給は 36,700円、タクシー初乗り 130円、うな重 550円だそうですので、ラジオにしては結構な買い物だったと思います。

高校生の時、学校帰りに電気屋の店頭で触ったことがあります。再生音がラジオ本体の外側に広がって聞こえた記憶がはっきり残っています。
当時の通学路になる新宿の駅前です。
📻 新宿駅東口前(’71年頃) 📻50年以上前のことなので前後のことは覚えていませんが、その電気屋は画像中央のカメラのさくらや(現在はビッグカメラ)だと思います。店頭にワゴンセールの形で置いてありました。
📻 山水 QS-1('70年頃発売) 📻
こちらも新宿だったと思うのですが、山水のショールームで聴いたことがあります。
📻 山水ショールーム(当時JBLと提携していました) 📻
≣イメージ画像≣
当時のパンフレットです。
📻 SONY MS-33('70年発売) 📻
型名の下にさりげなく“マトリックス サウンド”と小さなルビが振ってあります。価格は 17,800円とあります。
'70年(昭和45年)の大卒男子初任給は 36,700円、タクシー初乗り 130円、うな重 550円だそうですので、ラジオにしては結構な買い物だったと思います。

高校生の時、学校帰りに電気屋の店頭で触ったことがあります。再生音がラジオ本体の外側に広がって聞こえた記憶がはっきり残っています。
当時の通学路になる新宿の駅前です。
📻 新宿駅東口前(’71年頃) 📻50年以上前のことなので前後のことは覚えていませんが、その電気屋は画像中央のカメラのさくらや(現在はビッグカメラ)だと思います。店頭にワゴンセールの形で置いてありました。
“マトリックス サウンド”から、もう一つ懐かしいものを思い出しました。
山水(SANSUI/サンスイ) QS-1です。現在のサラウンドのようなもので、リスナーの前/後にスピーカを2個づつ配置して、ステレオ音源を擬似的な4CHに変換して再生します。QS方式と呼んでいたと思います。
山水(SANSUI/サンスイ) QS-1です。現在のサラウンドのようなもので、リスナーの前/後にスピーカを2個づつ配置して、ステレオ音源を擬似的な4CHに変換して再生します。QS方式と呼んでいたと思います。
📻 山水ショールーム(当時JBLと提携していました) 📻
≣イメージ画像≣
音楽ソースはその効果の大きなものを選んで使っていたと思いますが、中でもサイモンとガーファンクルのバイ・バイ・ラブ(Bye Bye Love)は、観客の手拍手が後方のスピーカーから聞こえました。
JBL OlympusやLE-8T、山水 SP2002など格子グリルのスピーカーがこれでもかと壁いっぱいに展示されていました。高校生にはとても手が出ない高価なオーディオ装置なので、同級生と羨望と憧れの混ざったような顔つきで聞き入っていました。
JBL OlympusやLE-8T、山水 SP2002など格子グリルのスピーカーがこれでもかと壁いっぱいに展示されていました。高校生にはとても手が出ない高価なオーディオ装置なので、同級生と羨望と憧れの混ざったような顔つきで聞き入っていました。
同時期にビクターから 4チャンネルステレオCD4が発表されていますので、この頃がサラウンドや立体音響の始まりだったと思います。
📻 ビクター 4チャンネルステレオCD4 📻(スイングジャーナル 1971年4月号掲載)
昔話でずいぶん引っ張ってしまいました。
協立電子の“マトリックス スピーカー”のネット広告を見ていたら、作ってみたくなったのが今回のテーマです。
次回から、“マトリックス スピーカー”の構造の説明と、部品の手配について書いていきたいと思います。
お楽しみに...